「お茶を一服」                 2007年 1月11掲載


 故郷の沖縄で心身共に暖かいゆっくりした正月を迎え、高知へ戻ると新年最初に茶事、初釜が待っている。
 先生と普段なかなか会えない稽古仲間とで行われ、もう一度正月気分が味わえる。
 早春を感じさせつ結び柳が床に飾られ、末永い繁栄の象徴である金箔(金箔)の茶碗でちょうだいする抹茶は実におめでたい。懐石料理をいただき、濃茶、薄茶をお互いに立て合い、緊張の中にも和気あいあいとした時が流れる。
 日ごろ雑事に追われながら仕事をしている私にとって、茶の湯は無心になる訓練の場でもあり、自分を律しながら解放できる寛ぎの一時でもある。
 正座をしていてリラックスできるのか疑問に思われる方もあるかもしれないが、数年前確かに、それを覚えたのだ。
 ある冬の午後、つくばいで身を清め茶室でひとり、先生を待っていた。釜からシュッシュッとゆの
煮える音ー松風の音が聞こえ、時折パチパチッっと炭の爆ぜる(は)ぜる音がアクセントをつけていた。
 香木の香りが空間いっぱいに広がっていた。その静寂の中、すがすがしい澄み切った精気のようなものが、おなかの中から湧き上がってくるのを感じた。製剤をしていて、ストレスやプレッシャーから会報されるのを覚えた瞬間だった。
 方言でチムワジワジー(*)が肝がギュッと固くなるかんじだとすれば、正反対に暖かく柔らかくなる気分だろうか。ちなみに土佐弁では気をもむことを臓を揉む」という。
 忙中閑あり。肝も臓もゆるやかにさせて、穏やかな春に光のような時を持ちたい。
 あなたもお茶を一服いかがですか。


(*)チムワジワジー=沖縄の方言で、腸が煮えくり返る程、怒っているいる時に使う。チムを除けて「 ワジワジー」と言う時もある。



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